北のいわしノート

21世紀の青島幸男(政界以外)を目指している七代目立川談志かぶれの戯言

「ま」という言葉を辿る旅:命と神秘に触れる音の記憶

赤ちゃんが最初に発する言葉は「ママ」・・・そう信じて疑わない人は多いが、言語学者の幾人かによると「まんま」の方が先に出てくる、という説がある。

なぜ「ママ」なのか?

なぜ「まんま」なのか?

共通しているのは「ま」なのか?

そこには、音としての「ま」の根源的な性質と、言葉になる前の私たちが抱えている“命の記憶”が潜んでいるのかもしれない。

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なぜ「ま」「ぱ」が最初の音になるのか?

音声学の視点から見ると、赤ちゃんが最初に発音しやすい音は、両唇を閉じて発する「m」「b」「p」など。とくに「m」は鼻から息を抜くため、唇と鼻の両方の感覚を通して心地よく響く。

そのため世界中で「母」を意味する言葉には「m」音が多く使われている。

「ママ」「マミー」「ムッタ」「マドレ」「マザー」

この傾向は文化を超えて普遍的である。

一方で「父」を指す言葉には「p」音がよく使われる。

「パパ」「パピー」「ペール

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「ま」は受容・内包・愛情の音、「ぱ」は発散・外向・力の音。

まるで宇宙の陰と陽のような組み合わせである。

「ママとパパ」という呼び方そのものに、世界のバランスが内在しているのだ。

そして、人生の終わりに再び出会うのが・・・自身がグランマとグランパとなった時なのか。

始まりも「マ・パ」、終わりも「マ・パ」。

音の円環のなかで、命の旅は完結していく。

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「まんま」と「真ん中」

赤ちゃんが欲するのは“存在”ではなく“エネルギー”なのではないだろうか。

なので「ママ(存在)」よりも先に「まんま(ごはん=エネルギー)」が出てくる、というのは理にかなっている。

「ま」は、中心・中心的価値を示す「真(ま)」という文字にもつながる。

「真ん中」とは、まさに「”ま”の中心」である。

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命の根、音の始まり、言葉の核

「ま」がすべての中心にあると感じるのは、音の響きだけではなく、意味構造そのものがそうなっているからかもしれない。

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天から降る「マナ」:旧約から新約へ

旧約聖書に登場する「マナヘブライ語 מָן)」は、荒野をさまようイスラエルの民に神が与えた天の食糧であった。

語源は「マーン・フー(これは何だ?)」という問いかけにあるとされている。

一方、新約聖書では「マンナ(ギリシャμάννα)」と表記され、意味も霊的な糧へと変化している。

(注:ラテン語・英語ともに、両方とも「manna」と表記される)

物質から霊性:同じ「ま」の音が、神の恵みの象徴として、形を変えて残っていく。

旧約では生存のための糧、新約では魂のための糧である。

いずれにせよ、「ま」という音は命をつなぐ存在として現れつづける。

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音のアイコン:マイケルとマリリン

世界中に衝撃を与えたふたりの象徴的な名前を見てみよう。

マイケル・ジャクソン:リズム、身体表現、精神性。

「ま」の音を持つその名の通り、彼は音と魂の媒介者として生きた。

マリリン・モンロー:美と性、偶像と孤独。

彼女もまた、「ま」の音を含みながら、母性と魔性を同時に感じさせる存在だった。

まるで、「ま」が彼・彼女たちを通して20世紀の神話を形づくったかのように思える。

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鞠:まるい世界、まるい記憶

日本の伝統的な遊具「鞠(まり)」は、ただの球体ではない。

それはまる=縁=和=調和の象徴でもある。

「まんまる」「まるい」「まり」

ここでも「ま」が核になって、命のかたち、世界のかたちを作っている。

蹴られることで動き、回ることで生命を宿す。

鞠は遊びの中に宇宙のサイクル・構造をひそませた、ささやかな曼荼羅とも言えるかもしれない。

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曼荼羅:心が描くまるい宇宙

心理学者カール・G・ユングは、「曼荼羅」を「集合的無意識の象徴」ととらえた。

自身や患者の夢の中に現れる円形の図像、無意識が自然に描くかたち、それが曼荼羅だった。

曼荼羅は自己(セルフ)の象徴であり、心の秩序と中心性を示すものである」

仏教で曼荼羅は、神仏の世界を図式化した“宇宙の地図”となっている。

しかしユングにとっては、それは心の宇宙そのものだった。

「ま」の音を辿ってきた旅は、ついにここで、魂の中心=曼荼羅に到達する。

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まほろば:音の奥に広がる、理想郷

「ま」は、単なる音ではなく、私たちの中にある原風景を呼び覚ます響きでもある。

日本語における「まほろば」という言葉は、その最たる例かもしれない。

まほろば(真秀ろば)」・・・それは、古代の日本人が思い描いた、豊かで美しい理想の地であった。

古事記』や『万葉集』において、この言葉は奈良の地を讃える際に使われ、「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山籠れる 倭しうるわし(やまとは くにのまほろば たたなづく あをかき やまごもれる やまとしうるわし)」と『古事記』において倭建命(ヤマトタケルノミコト)が故郷を思って詠まれた。

語源的には諸説あるが、ここでも「ま」が示すのは、「真(まこと)」や「円(まる)」のような、完全性・調和・中心性を表している。

「ほろば」は、「広がり」や「場所」と結びつくとされ、つまり「まほろば」は、“まことに秀でた広がり”、“まことの場所”・・・言い換えれば心の原点にある「まの場所」となる。

この言葉の響きにも、「ま」という音が、記憶と情感とを同時に震わせる力があるのだ。

さだまさし」の楽曲「まほろば」では「現代的恋愛歌詞」として表現されているのか。

まほろば」と口にするだけで、どこか懐かしく、やさしく、温かいものが胸に広がる。

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世界を包む「ま」の音

ここまで、「ま」という一音の中に、どれほど多くの意味が含まれているかを見てきた。

(注:あえて言及しなかった項目もある)

  • 赤ちゃんの「まんま」
  • 天からの恵み「マナ/マンナ」
  • 愛と母の象徴「ママ」「マリア」「マライヤ」
  • 世界の裏側「魔」
  • 巨大な神秘「摩訶」
  • 都市と熱情「マンハッタン」「マンボ」
  • 音の使者「マイケル」「マリリン」
  • 命の球体「鞠」
  • 心の宇宙「曼荼羅
  • そして最初と最後に現れる「ママとパパ/グランマとグランパ」

これらは偶然の集積なのか?

それとも「ま」という音に、私たちが深く反応する何かが本当にあるのか?

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まるで、世界そのものが「ま」の音で構成されているようにも思える。
そして、その響きの奥には、「まさか」と呟きたくなるような真理が、ひっそりと隠されている。

曼荼羅のように静かに回転しながら、「ま」という音は、あなたの心のどこかでいまも鳴っている。

「ま」という、たったひとつの音だけで、ここまで考察が広がる。

これこそ、まるで「ま」の“魔界”なのだろうか。

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