北のいわしノート

21世紀の青島幸男(政界以外)を目指している七代目立川談志かぶれの戯言

「メロス」とは「エロス」であったのか:「太宰治」の「走れメロス」に込められた密かな問いかけ

教科書に載っているくらい有名な小説ですよね。

「メロスが友人の命を救うために走る」という内容の小説です。

ふと思ったのですよ、「『メロス』という名前の元になっているのは、芸術的側面からの『エロス』から来ているのではないか?」という解釈なのです。

この解釈は単に「シャレ」や「語感が似ている」からではありません。

ブログ分割時における過去記事に、埋没していた記事(青臭かった)の発掘加筆修正再掲です。

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「メロス=エロス」説の可能性

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ギリシャ語由来の単語としての「エロス」

「エロス(Eros)」はギリシャ神話に登場する「愛の神」になります。

そして、「愛(eros)」という概念自体も、ギリシャ哲学では「情熱的な愛」「自己犠牲的な愛」として扱われていたという歴史があるという見方が強いのです。

この「走れメロス」のテーマは「友情(愛)」と「信頼(真実)」なのだから、「エロス」の概念と重なる部分が多いと解釈できるのです。

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太宰治の語感の好み

太宰は「響き」や「言葉の印象」を大事にする作家だったと解釈しています。

たとえば『斜陽』『津軽』『ヴィヨンの妻』など、彼の作品タイトルにはリズミカルで印象的な音が多と感じています。

「メロス(Melos)」の「ロス」という音が「エロス(Eros)」に似ているのは偶然とは言い切れないのではないでしょうか。

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メロス=ギリシャ語「melos(歌・旋律)」の可能性も

「メロス」という名前は、ギリシャ語の「μέλος(melos)=歌・旋律」という意味も持ちます。

もし太宰がこの意味を意識していたとすると、「メロス」は愛と信念を貫く英雄であり、その行動はまるで美しい歌のように響く存在 という解釈もできます。

ここで「エロス」とのダブルミーニングを仕込んだ可能性も出てくるという複雑が出てきます。

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太宰自身の「エロス観」との関係

太宰は「愛」や「人間の情熱的な感情」をテーマにすることが多かったと言われています。

例えば『ヴィヨンの妻』では「破滅的な愛」、『人間失格』では「救済を求める愛」を描いています。

走れメロス」もまた、愛(友情)を貫こうとする物語だから、「エロス」の概念と無関係とは思えないと、着地することができるのでは?

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ゆえに「太宰治」の「斜陽」「人間失格」「ヴィヨンの妻」あたり”だけ”を表面的に読んでしまうと「太宰治=ニヒリスト(悲観主義者)」と捉えられがちであるのは悲しい限りだと思っています。

しかしこの「走れメロス」の奥底には「人間の本質(人間愛というエロス)」が書かれていることから「太宰治=リアリスト(現実主義者)」という面の方が強かったのではないかと考えられますよね?

そして、同じく「リアリスト」でありすぎたあまり「芥川龍之介」や、現代に進んでみると「尾崎豊」の「最後」とつながる面があるのではないだろうかとまで思ってしまうのです。

そう、リアルな「自分自身」と「自分自身から生み出された作品」と「それを受け止めた社会」この「3者」あまりにも冷静に見てしまいすぎたがために、生きることをやめてしまったのかもしれない、いや、やめざるを得なかったのかもしれない・・・・・

この辺り、もしかしたら「菊池寛」が何か書き残しているかもしれないけれど、全集を持っていながらも、まだそこまでは辿り着いていないのが現状です。

ここでまたオレが”表面的”にしか読んでいない「村上春樹」の小説についても、大きな誤解を持っているのではないか、という疑問と反省も浮かび上がってくるのは否めない。

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ここ考察は「突飛とは言い切れない考察」になっているつもりである。

そのほかに、あまり深堀されていない「筒井康隆」の「七瀬三部作(家族百景〜七瀬ふたたび〜エディプスの恋人)」三作目にあたる、「エディプスの恋人」との「ギリシャ神話からの共通点的考察」も、三作を通して「現在におけるマイノリティの孤独と偏見」も絡めて、後日にでも記事化してみたいと思っています。

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太宰治走れメロス

太宰治ヴィヨンの妻

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筒井康隆家族八景七瀬シリーズVol.1)

筒井康隆:七瀬ふたたび(七瀬シリーズVol.2)

筒井康隆:エディプスの恋人(七瀬シリーズVol.3)

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