ギターを弾けると女の子にモテる・・・そんなことしか考えていない「昭和の男の子」であった。
しかし、そう簡単にギターを手に入れられる時代ではなかった。
(そうこのブログにおいて「音楽系」で蘊蓄たらたらの記事を書いているけれど、オレにとっての音楽との関わりの始まりは皆様より”下”であったことは間違いない)
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ギブソン? 知らない。
モーリス? 高くて無理。
ヤマハ? 管楽器やピアノがメインだよな・・・
結果、たどり着いたのは全音の「モラレス」だった。
どこかスペイン語風なその名前に、ちょっとした“舶来感”を抱きながら、「心もよう」の簡単なコードでアルペジオを覚え、「井上陽水」をアルペジオからジャカジャカとストロークで鳴らしていたあの頃。
もちろんB7は2フレットセーハなんてポジションではない。

多くの人は「Fの壁」でギターに挫折するのだが、オレはセーハではない方のB7を習得してギターを覚え、それからセーハのB7を覚えてからFを習得したので、そこに壁はなかった。
コレは運のいい流れだったのだろう。
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今にして思えば、ギターの鳴りもチューニングも甘かったかもしれない。
何せ”チューニングの基本音”は「A=440の音叉1本」の時代だ。
そして「ハーモニクスチューニング」を覚えたときに、世界が変わった。
しかし、指先と耳と心は、ちゃんとその音に向かっていた。
なによりも、モラレス越しに弾いた陽水の歌が、まだ理解できないくせに、どこか胸の奥に響き渡っていた。
その頃だろうか・・・Eのポジションから人差し指を外すとEmになる、つまりは「3度の音を半音下げるとマイナーになる」ことを覚え、中指を外すと7thになる、つまりは「ルートから7番目の音が7thと呼ばれる音なんだ」なんてことを”体感的”に覚えたりした。
そう、オレの音楽理論は”理論書”ではなく”体感”で始まっていたのだ。
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当時は「このサビに来た時の弦が切れるギリギリを攻める強いストロークが“男”なんだよ」なんて、勝手に思い込んでもいた。
ギターを鳴らす、というより「叩きつける」に近い。
でも、あの時の自分にとっては、それが音楽であり、表現であり、恋だったのだ。
もちろん、弦が切れることもあった。
でもそれは、決して“強く弾いたから”ではない。
強く音を止めたかったからだ。
響きを断ち切るために、押さえつける拳にどれだけの力を込めただろう。
ただ余韻を止めたくて、鳴らした音を殴るように押さえ込む・・・いや、トーンホールを殴りつけていた。
そんな弾き方ばかりしていたから、気づけば弦は”たわみ”の繰り返しに耐えきれず、当然の如く“ブリッジ部分”でぷつんと切れた。
それでも、「やり切った感」だけは、どこかに残っていた。
たかがAm、されどEm・・・
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そして、E7で「小指2弦7th」を押さえることを知った時、世界が一変した。
それまでのE7はただのコードだったが、このフォームはコードに色気と深みを与え、まるで歌うように響いた。
この小さなフォームの変化が、音楽表現の幅を劇的に広げ、ギターを弾く喜びを何倍にも増幅させてくれた。
たまにB7は2フレットのセーハで、強く押さえるために指が攣りそうになった。
それはBm7との”サウンドのバランス”を整えるためであって、音の質感、求めるサウンドの違いによるものだ。
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昔のフォームは、どこか軟質で開いた音。
現代のフォームは、高ポジション弦を巧みに使い、より硬く抜けの良い音を作り出す。
同じコードでも、フォームの違いが音楽表現の幅を広げる。
これこそが、アマチュアならもミュージシャンとしてのこだわりと探求心の証だろう。
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そして今はセミアコでもカポダストを使うようになった。
昔はエレキギターにカポダストなんて邪道だった。
時代が変わり、”楽をすること”と”許容範囲”が「同義語」になったのかもしれない。
カポ5やカポ7での”フォーク風ポジション”でレゲエやスカを弾いていたりする。
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