今も万博記念公園に鎮座している「1970年大阪万博」の「太陽の塔」は日本人の90%以上が知っていると言っても過言ではないと思う。
しかし、その後ろ側に「黒い太陽」が存在しているのはご存知だろうか。
(著作権の絡みがあるので画像はのせないが、興味のある方は検索していただきたい)
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それが「信楽焼」で作られているのは、知る人ぞ知るの事実でもある。
しかし、そのさらに奥深くにさらなる事実がある。
この「黒い太陽」が完成した時、岡本太郎は「ビールを持ってこい(持ってきて:かな?)」と言って、その「黒い太陽」の口からビールを注ぎ込んだ。
ここまでは”事実”として記録に残っている。
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さて、ここからがオレの持論の始まりである。
特に岡本太郎ファンでもないので、文献とかを調べたわけではない。
しかし、軽くChatGPTに調べてもらったところ”特段な解釈”は見当たらなかったらしい。
言ってみれば岡本太郎特有の”芸術家的奇行”と済まされてしまったのではないだろうか。
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注目してもらいたいのが「太陽の塔」の内部には「生命の樹」という岡本太郎作品があり、そこに棲む生物たちは「進化の軌跡そのもの」である。
それは微生物から恐竜まで、無名の原始生命から複雑な脊椎動物まで、時代も種も超えて「命」の連続体を示しながらも”ホモサピエンス”で”終わらせている”作品である。
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岡本太郎が「黒い太陽」の口からビールを注ぐ前に、この「生命の樹」の構想があったのかどうかは知らない。
しかし、岡本太郎のことだから、あったと考えるのが当然であろう。
そう考えると、なぜ「黒い太陽」の口からビールを注ぎ込んだのか?
岡本太郎はビール好きだったのか?
いや、そんなことは関係ないだろう。
岡本太郎の中では「ビール=大衆的な酒類」であったと想像する。
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そう考えるとどうなるか?
岡本太郎は乾杯したのだ。
誰と?
「生命の樹」に棲む生物全てとである。
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なぜ乾杯を?
岡本太郎の名言にこんな一言がある。
「一度死んだ人間が本当に生きる」
この名言を当てはめるなら、「生命の樹」に棲むすでに絶滅してしまった生物と”一体化=命と自分の距離ゼロ化”するために乾杯したのではないだろうか。
これは決して”ファンタジックな行為”ではなく”儀式”であったのであろう。
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つまりはこういうことだ。
- 黒い太陽=「過去」「死者」「見えない側」「土の記憶」
- ビール=「生の泡」「祝祭」「発酵という微生物の営み」
- 注ぐ行為=「供養」「対話」「再統合」
そして岡本太郎側からの視点ではこうなるだろう。
- アートとは人と作品を分けるものではなく、人が作品に溶ける行為
- 創作者は“創った者”ではなく、“召喚された者”
- 乾杯は支配や祝福ではなく、同一化の契り
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異論や批判は真正面から受け止める。
現在開催されている「大阪・関西万国博覧会」に、これほどの”深いテーマ”は存在しているだろうか。
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注:この記事における”解釈”や”印象”は、あくまで「個人的」なものにすぎず、公的な”裏とり”は一切行っておりません。
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