北のいわしノート

21世紀の青島幸男(政界以外)を目指している七代目立川談志かぶれの戯言

少女から大人の女性へ:aikoを見守り続けて

商用車に置かれた空白ラベルのカセットテープ。

カーステレオにセットして再生すると、流れてきたのは「カブトムシ」。

カブトムシ

カブトムシ

"あ、これ「aiko」だね"・・・そのくらいは知っている(知っていた)。

そこから始まった「aiko」との長い付き合い。

親でもないのに、親のような気持ちで見守り続けてきた。

テーマと内容が真面目寄りなので、この先は分析論文的に進めてみたい。

初期:少女性と透明感

aiko」の初期作品を聴き返すと、まず心を捉えるのは「少女の声」としか言いようのない瑞々しさだ。

ジャズ的な要素を含んだブルーノートの響き、揺れるような独特の歌声。

そこには技術で固められた強さではなく、むしろ脆さと透明感が同居している。

まるで薄いガラス細工に触れるような感覚で、聴き手を優しく包み込む。

その頃の彼女の歌には「自分が歌に包まれている」という印象が強かった。

つまり、歌声が主体ではなく、歌そのものが彼女を覆い、守っていたのだ。

恋愛や日常の小さな出来事を綴る歌詞もまた、少女らしい感受性のきらめきを持ち、聴き手にとっては「自分もかつてそこにいた」と思い出させる原風景のようなものだった。

中期:変化の兆し

その“守られていた歌声”が少しずつ輪郭を得始めるのが、2016年のアルバム『May Dream』だろう。

この作品で初めて「歌に包まれている」から「歌を自分の手で抱きしめている」感覚に移りつつあるのを感じた。

声に奥行きが出て、表情の幅が増え、どこか「少女の残り香」を残しながらも、大人の女性へと歩みを進めている気配が漂う。

この頃の歌唱には、まだ揺らぎがある。

それは不安定さではなく、次の段階へ進もうとする準備の揺れ。

恋愛の切なさも、日常のひとこまも、「少女」と「大人」の間に漂うあやうい均衡の中で歌われていた。

聴き手はそのバランスに惹かれ、彼女がこれからどう変化していくのかを期待しながら耳を傾けたはずだ。

転換点:2024年『skirt』

その揺らぎが一つの答えにたどり着いたのが、2024年のアルバム『skirt』だ。

ここで聴けるのは「飽きられないための変化」ではない。

もっと必然的で、彼女の人生とともに積み重ねられた時間が声となって表れた変化だった。

aiko」は「少女から大人へ」という成長を恐れず、そのプロセスをそのまま歌に込めた。結果として、声に揺らぎではなく確信が宿る。

自分の声がどこに届き、どう響くのかを知っている歌い手の響きだ。

この『skirt』は、単なる転機ではなく「私はこの声で生きていく」という宣言に近い。

聴く側も「変わってしまった」のではなく「ここに至った」と納得できる自然な進化を感じ取ることができた。

確立:2025年『カプセル』

そして2025年、『カプセル』によってその変化は決定的になった。

カプセル

カプセル

ここでの「aiko」は、もはやブルーノートに頼らない。

むしろ装飾を削ぎ落とし、余白とストレートな表現で勝負するようになった。

声そのものの強さと、シンプルな旋律の中で際立つ言葉の力。そこには少女的な可憐さではなく、成熟した大人の女性としての存在感がはっきりと刻まれていた。

恋愛の歌も、日常の歌も、どこか達観した視点と深い情緒を備え、聴き手に「今のaikoはこういう景色を見ている」と確信させる。

『カプセル』は、「aiko」が長い時間をかけて築き上げてきた“声”と“表現”が、ひとつの到達点に結実したアルバムだと言える。

未来展望

この先、「aiko」がどんな道を歩むのか。

私には「大橋純子」や「渡辺真知子」といった歌唱力を全面に出した先達の姿が重なって見える。

そこに決して「AI」や「JUJU」や「MISIA」の姿は見えてこない。

そのままの「aiko」として年齢を重ね、歌い手としての深みを増しながら、それでも決して古びない魅力を持ち続ける存在。

セルフカヴァーと新曲を織り交ぜながら「熟成」という言葉を肯定的に引き受け、次のステージへ進む姿を想像する。

そこには“永遠の少女”としてではなく、“大人の女性”としての「aiko」が立っているだろう。

彼女の歌声は、出会った頃の透明感を完全に失うことはない。

それを芯に持ちながら、深みと余裕を加え、聴き手の人生の時間に寄り添い続ける。

aiko」の未来には、そんな「ちょい熟成」の輝きが待っていると、私は信じている。


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