
他者から見ると、彼は三度目の失踪をしたように見えただろう。
彼は隔離病棟の雑居病棟で、何をするでもなく過ごしていた。
1日の24時間があまりに長く感じられていた。
することがないのだから当たり前のことである。
それでも彼の中には”継続”という言葉が浮かんでいた。
音楽なのか、SNSなのか・・・
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ふと浮かんだのはSNSで使うハンドルネーム。
それは「ジョン=Johne」だった。
その瞬間、大きな鎖が音を立ててつながった。
当然の如く聖書を読んでみたくなった。
しかし、売店に聖書なんて置いているはずもなく、書店に出向くことも不可能な現実を叩きつけられた。
それにもまして買うお金がないのである。
まだ面会に来てくれている親戚に頼んでみた。
そうしたら「世界三大宗教研究」なる文庫本を持ってきてくれた。
親戚が言うに「これを読んでから考えたら?」だった。
最初は親戚の意図が理解できなかったが、その本を読んでざっくりと宗教について学ぶことが
できて、さらに聖書を読みたい気落ちは高まった。
再びその親戚に聖書を頼んでみたが、「聖書は貰うもので買うものではない」という持論を持っていたらしく、買ってきてはくれなかった。
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彼は考えた。
考え、考え、考えた。
教会に電話して相談してみよう・・・
しかし病棟の公衆電話からは、なぜか104が繋がらない。
再び考えた。
ここで彼が持ち合わせている”人を見る目”の本領発揮である。
彼に対して好意的な面を見せてくれている看護師さんにピンポイントで「聖書が読みたくて教会に電話したいんだけど104が繋がらないんだよね」と何気なく相談した。
その”人を見る目”に間違いはなく、その看護師さんは自分のスマホで104にかけて教会の電話番号をメモで渡してくれた。
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その電話番号にかけてみると、出たのはカトリック教会だった。
正直に相談したところ、「一応無料の聖書はありますが、新約聖書のみになります。それでも十分だと思います」との答え。
こちらが置かれた状況を説明すると郵便で送ってくれた。
届いたのはビニール表紙の新共同訳新約聖書。
そして彼はカタカナだらけの冒頭から貪るように読んだ。
尻ポケットに入るので、24時間身につけて暇さえあれば目を通した。
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患者内では患者と距離を置くので有名な保健福祉士が声をかけてきた。
「聖書を読むんだったら『三浦綾子』の『旧約聖書入門』と『新約聖書入門』を読んだ方がいいよ」と。
素直な彼は奮発した。
彼の記憶には残っていないようだが、何か手を尽くして自腹でその2冊を入手した。
さらにキリスト教に助けを求める気持ちが高まった。
次に訪問看護のスタッフが「これ、貴方だったら読めると思う」と言いながら手渡してきたのが、「渡辺和子」の「置かれた場所で咲きなさい」だった。
そう、見ている人は見ているのである。
努力とは、決して汗をかいたり身を削ることだけではない。
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食堂兼多目的ホールの壁に貼られた地域地図の中に、歩いていけそうな教会を見つけた。
見つけたからには行きたくなるのは当然である。
彼の頭の中には「教会に行く=日曜礼拝」しか浮かばない。
外出願いを出してみたところ、基本的に身内が来ない限り日曜の単独外出は安全面から認められないとのこと。
その代わり、平日に何かやっているのでは?との話。
どうやったのかその教会の電話番号を調べ、電話してみたら「水曜祈祷会」なるものが午後に開催されていた。
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通うこと1年ぐらいだろうか。
受洗の準備が整った。
しかし、牧師は許したが、役員は「日曜礼拝に出ないままの受洗はありえない」と許可が出ない。
ここからは彼の交渉力がさらに発揮される。
そのままを牧師にぶつけた。
牧師は役員に促され、病院のトップに直談判してくれた。
ある日、病院トップが彼のところに来て「前例もなく特例ですが日曜の外出を許可します。しかし、信仰を守ることを約束してください」と。
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彼は無事に受洗した。
そして、その後退院した。
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神は、孤独という名の病室で囁いた
〜 さて、時を変えよう 〜
== これは事実にちょっとだけ”妄想”を加えたフィクションな物語である ==
▶︎ 著者「北のいわし」について(2025.10.07更新)
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