
彼は無事に退院して、独り暮らしをはじめていた。
バツイチ子供なし独居の現実。
収入が限られている中、「精神的ミニマリスト」から「物質的ミニマリスト」を意識して「真のミニマリスト」となった。
そもゆえ「終活」と「断捨離」をナンセンスと断ち切った。
識者・知者ぶっている者たちは言う「生きるためには他者との繋がりが必要」だと。
他者との繋がりを求めてきた、求めてきた、求め続けてきた。
結局そこに残ったのは「ドロップアウト」ではなく「スピンアウト」であった。
彼は自ら「社会からスピンアウト」することを選んだのである。
孤独を”受け入れる”ことを決めて、孤独に生きる。
そこに待ち受けているのは”孤独死”。
”孤独死”とは”可哀想”なのか?
標準偏差的常識が”可哀想”と決めつけていないか?
”孤独死を選ぶ自由”もあるはずである。
それと同時に”孤独死を選ばざるを得ない現実”も存在する。
彼はみずから後者を選んだ。
”孤独”とは”自分を自分が支配”することであろう。
今の彼は決して”孤独”ではない。
彼の中に”もうひとりの彼”が共存している。
そして”自然”とも共存している。
”死”とは”終わり”ではなく”自然回帰への始まり”なのである。
みずから人生をとめることはない。
彼の中に「宇宙意志論」という多種多様な学問を結びつけた独自理論が確立した。
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想い出は、もう何も語りかけない
その中で、今も生き続けている
〜 そして、充実した時は流れ続ける 〜
== これは事実にちょっとだけ”妄想”を加えたフィクションな物語である ==
〜書き終わって〜
ここまで読んでくださった読者さんにはお礼しかない。
そして自分でもよくここまで”リアルな物語”を書けたと自画自賛している。
もしかしたら?と思っている方?
そう、この「レオン」とは・・・・・架空の人物?読んでいるあなた?それとも。
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